Works
記憶の珍味 諏訪綾子展 資生堂ギャラリー_後期
25 August - 26 September 2020
コロナ禍による中断を挟んで更新再開された展示・都市と森林の間の循環がはじまった。
2020年1月にスタートした「記憶の珍味 諏訪綾子展」は、開催直後に起こった新型コロナウイルスの感染拡大と緊急事態宣言発出にともない、2月末に一時中断される。その後、約半年間の休館を挟んで8月25日から再開されることになった展覧会。
2019年の年末に諏訪は15年間慣れ親しんだ恵比寿のスタジオを退去して、山梨県道志村の森林に囲まれたアトリエに移転して制作をしていた環境変化のタイミングと、奇しくもコロナ禍による社会状況の変化が重なった。誰もが自然と人間との関係性について、再考せざるを得ない時だった。
そこで諏訪は、再開に際して未来へのパースペクティブをもたらすような作品、内容に展示を再構築、更新することにした。
ギャラリーが閉館したこの短期間に、食をとりまく社会の状況や生活様式も驚くべき速さで変わった。接触を伴う体験方法は実施不可能となっていたこともあり、来場者が会場にくることで癒され、免疫力が高まるようにと願い、「銀座に森をつくりだそう」と決意する。
諏訪が「タリスマン」と呼ぶ作品。そのにおいを嗅ぐことからはじまる体験。
フードクエイションのアトリエがある山梨県道志村の森。かつて植林された針葉樹間伐材から作られた8点の「タリスマン」が大展示室に展示された。来場者はこの8種のさまざまな「におい」を順番にあじわうながら、記憶と紐付いたあじわいをひとつを選び、そして記憶のあじわいを探す。
奥に進むと前の展示室で選んだにおいに関連した「あじわいの素」が展示されている空間が。
手に取って自身のマスクに貼付する。それを鍵になって、自分にとっての「記憶の珍味」の扉が開いて、この体験は終了する。
その後、ギャラリーを出て銀座の街中や電車に乗ってもマスクを通じて「あじわい」は一定時間、持続するようになっているので、都市と自然のコントラストは噛めばあじわいが深まる「珍味」のように、繰り返し思い出してはあじわいたくなる作品となった。
浄化作用・免疫力向上の作用がある針葉樹の枝葉から発せられる「フィトンチッド」をギャラリーの中を満たすことで、体験自体が「自然と人間の関係性・共生についての問いかけ」となるように。体験を通じて自分自身と自然との関わりについて、思いを巡らせる内容になった。
[会場内での試み]
アテンドスタッフとゲストとの接触を極力減らすために、作品解説アプリを「ArtSticker」と共同で開発しました。自身のスマートフォンから作家(諏訪綾子)の音声ガイドを作品エリアごとに順番に再生して体験ができるオペレーションにアップデート。「マスクをしたまま あじわう」手法として、「あじわいの素」という作品を新たに制作。マスクの外側に作品を貼付することで、体験者が会場を出た後も都市の中であじわいが持続する鑑賞方法を開発しました。
また、来場者人数を制御するため、ウェブサイトから事前予約制に入場方法を変更して感染症対策も施しながら、コロナ時代に即した体験へとアップデートすることができました。
*
[展示再開にあたって 作家のメッセージ]
「記憶の珍味」を資生堂ギャラリーで発表して1ヶ月が経った頃、世界は強制的に止まってしまった。ステイホーム、家に籠り、最低限の外気を吸うのみ。人と会わず、得体の知れない恐怖と増えていく数字を毎日数えていた。2020年2月29日、うるう年のこの日を最後に資生堂ギャラリーは臨時休館となった。
3月になると私は森の中にいた。標高700m、コンビニもスーパーもない山奥でニュースを見ていた。森の中で聞こえてくるパンデミックの混乱は、鳥や虫や動物たちの鳴き声に掻き消されてどこか他人事のようだった。食べられるかもしれないものに満ちたこの森で、食べられてしまう危険とともに、東京での生活で鈍ってしまった私の野生を試してみたいと思った。
森の間伐材でタリスマンをつくる。森に充満するフィトンチッドを集める。フィトンチッドは樹木が発する魔法のような気。動くことができない木々が、外部の刺激から自分自身を守るために揮発させる、殺菌力を持った防御成分であり、森を浄化する力。わたしたち人間もそのおすそわけをもらって、抗菌、抗酸化、リラックス… 免疫力をあげることができる。森はそんな野生の気が満ちていて、そのみずみずしい気を集めては、しばらく会えていない友人たちへ、私は森から'魔除け'を送り続けた。
あれから半年ものあいだ、誰もいなくなった銀座の、あの地下空間で「記憶の珍味」はあじわう人を待っていた。それはまさに、忘れ去られて人知れず熟成していく、脳の奥底の「珍味」のようだった。私自身も忘れかけていた。世界があまりにもドラマティックで、その変容を受け止めたかった。なによりも生きものとして進化したかった。
もう、だれかと内的な感覚を共有したり、どこかの美しい密室に入ったり、なにか得体の知れないものを手掴みで食べる、ということはできない世界になってしまったのだろうか。
濃厚接触が禁じられた世界で、想像力ばかりが濃厚に掻きたてられる。おかげでわたしたちは、今までにないほどに想像力を手に入れて、あらゆるものをあじわうことができるようになった。
8月、人が戻ってきた銀座で、蒸れたマスクの内側に森が広がっていく。脳に宿る森が、咳をするたびに溢れ出る。わたしたちの奥底に沈めていた自然をあじわうなら今。
自然との関係性において、人間の側が、自然に合わせて変容する進化というのもあり得たのではないだろうか。
いつの日か最後の晩餐には「記憶の珍味」をあじわいたい。
それは、意識であり、無意識であり、わたしそのもの。あじわうほどにあじわい深く、噛みしめるほどにうまみを増す。
美しい記憶の珍味は、あなたの中にある。
諏訪綾子
2019年の年末に諏訪は15年間慣れ親しんだ恵比寿のスタジオを退去して、山梨県道志村の森林に囲まれたアトリエに移転して制作をしていた環境変化のタイミングと、奇しくもコロナ禍による社会状況の変化が重なった。誰もが自然と人間との関係性について、再考せざるを得ない時だった。
そこで諏訪は、再開に際して未来へのパースペクティブをもたらすような作品、内容に展示を再構築、更新することにした。
ギャラリーが閉館したこの短期間に、食をとりまく社会の状況や生活様式も驚くべき速さで変わった。接触を伴う体験方法は実施不可能となっていたこともあり、来場者が会場にくることで癒され、免疫力が高まるようにと願い、「銀座に森をつくりだそう」と決意する。
諏訪が「タリスマン」と呼ぶ作品。そのにおいを嗅ぐことからはじまる体験。
フードクエイションのアトリエがある山梨県道志村の森。かつて植林された針葉樹間伐材から作られた8点の「タリスマン」が大展示室に展示された。来場者はこの8種のさまざまな「におい」を順番にあじわうながら、記憶と紐付いたあじわいをひとつを選び、そして記憶のあじわいを探す。
奥に進むと前の展示室で選んだにおいに関連した「あじわいの素」が展示されている空間が。
手に取って自身のマスクに貼付する。それを鍵になって、自分にとっての「記憶の珍味」の扉が開いて、この体験は終了する。
その後、ギャラリーを出て銀座の街中や電車に乗ってもマスクを通じて「あじわい」は一定時間、持続するようになっているので、都市と自然のコントラストは噛めばあじわいが深まる「珍味」のように、繰り返し思い出してはあじわいたくなる作品となった。
浄化作用・免疫力向上の作用がある針葉樹の枝葉から発せられる「フィトンチッド」をギャラリーの中を満たすことで、体験自体が「自然と人間の関係性・共生についての問いかけ」となるように。体験を通じて自分自身と自然との関わりについて、思いを巡らせる内容になった。
[会場内での試み]
アテンドスタッフとゲストとの接触を極力減らすために、作品解説アプリを「ArtSticker」と共同で開発しました。自身のスマートフォンから作家(諏訪綾子)の音声ガイドを作品エリアごとに順番に再生して体験ができるオペレーションにアップデート。「マスクをしたまま あじわう」手法として、「あじわいの素」という作品を新たに制作。マスクの外側に作品を貼付することで、体験者が会場を出た後も都市の中であじわいが持続する鑑賞方法を開発しました。
また、来場者人数を制御するため、ウェブサイトから事前予約制に入場方法を変更して感染症対策も施しながら、コロナ時代に即した体験へとアップデートすることができました。
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[展示再開にあたって 作家のメッセージ]
「記憶の珍味」を資生堂ギャラリーで発表して1ヶ月が経った頃、世界は強制的に止まってしまった。ステイホーム、家に籠り、最低限の外気を吸うのみ。人と会わず、得体の知れない恐怖と増えていく数字を毎日数えていた。2020年2月29日、うるう年のこの日を最後に資生堂ギャラリーは臨時休館となった。
3月になると私は森の中にいた。標高700m、コンビニもスーパーもない山奥でニュースを見ていた。森の中で聞こえてくるパンデミックの混乱は、鳥や虫や動物たちの鳴き声に掻き消されてどこか他人事のようだった。食べられるかもしれないものに満ちたこの森で、食べられてしまう危険とともに、東京での生活で鈍ってしまった私の野生を試してみたいと思った。
森の間伐材でタリスマンをつくる。森に充満するフィトンチッドを集める。フィトンチッドは樹木が発する魔法のような気。動くことができない木々が、外部の刺激から自分自身を守るために揮発させる、殺菌力を持った防御成分であり、森を浄化する力。わたしたち人間もそのおすそわけをもらって、抗菌、抗酸化、リラックス… 免疫力をあげることができる。森はそんな野生の気が満ちていて、そのみずみずしい気を集めては、しばらく会えていない友人たちへ、私は森から'魔除け'を送り続けた。
あれから半年ものあいだ、誰もいなくなった銀座の、あの地下空間で「記憶の珍味」はあじわう人を待っていた。それはまさに、忘れ去られて人知れず熟成していく、脳の奥底の「珍味」のようだった。私自身も忘れかけていた。世界があまりにもドラマティックで、その変容を受け止めたかった。なによりも生きものとして進化したかった。
もう、だれかと内的な感覚を共有したり、どこかの美しい密室に入ったり、なにか得体の知れないものを手掴みで食べる、ということはできない世界になってしまったのだろうか。
濃厚接触が禁じられた世界で、想像力ばかりが濃厚に掻きたてられる。おかげでわたしたちは、今までにないほどに想像力を手に入れて、あらゆるものをあじわうことができるようになった。
8月、人が戻ってきた銀座で、蒸れたマスクの内側に森が広がっていく。脳に宿る森が、咳をするたびに溢れ出る。わたしたちの奥底に沈めていた自然をあじわうなら今。
自然との関係性において、人間の側が、自然に合わせて変容する進化というのもあり得たのではないだろうか。
いつの日か最後の晩餐には「記憶の珍味」をあじわいたい。
それは、意識であり、無意識であり、わたしそのもの。あじわうほどにあじわい深く、噛みしめるほどにうまみを増す。
美しい記憶の珍味は、あなたの中にある。
諏訪綾子